「日経リスクインサイト」寄稿「見えない知財の見えないリスク」④

知財IRで失敗しないための5つの鍵

2025年11月28日

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※本記事は㈱クオンツ・コンサルティング所属時に日経リスクインサイトに寄稿した内容を転載しています。

2025年7月末より、㈱クオンツ・コンサルティングは日本経済新聞社が企業・法人向けに定期配信するニュースレターサービス「日経リスクインサイト」に寄稿を開始しました。その特集テーマは「見えない知財の見えないリスク」で、全4回の寄稿を予定しています。今回紹介するのは、その④「知財IRで失敗しないための5つの鍵」です。本稿は大手金融機関系シンクタンクや外資系証券会社などで金融資本市場に精通し、投資家向け広報(IR)活動に詳しいシニアアナリストの飯塚尚己が担当しています。是非、記事をお読みください。なお記事①は9月17日に配信済みの記事①を、記事②は9月25日に配信済みの記事②を、記事③は10月10日に配信済みの記事③を、それぞれご覧ください。

もし受領されていない方は再配信しますので、consulting@molton.incまでご連絡ください。

※Molton㈱は、日経リスクインサイトに寄稿した記事を、その体裁のままで当社が発信するニュースレターに転載することを日本経済新聞社様より許諾して頂いております。

【連載】見えない知財の見えないリスク

④知財IRで失敗しないための5つの鍵

㈱クオンツ・コンサルティング シニアアナリスト 飯塚尚己

連載「見えない知財の見えないリスク」、最終回となる4回目のテーマは株主・投資家向け広報活動(IR)にあたってのリスクだ。知財・無形資産の開示に力を入れている日本企業は年々増えているものの、その開示内容にはバラツキがみられる。企業価値の向上につながるという観点でいうと、効果的な情報開示ができている企業はそれほど多くないというのが実情だ。せっかく情報を開示しても、株主や投資家にしっかりとしたメッセージとして届かなければ企業価値の増大にはつながらない。連載の最終回となる今回の記事では、知財・無形資産に関するIRの「失敗」を避け、確実に企業価値向上に結びつけるためのポイントを整理する。

知財・無形資産の情報開示が重要になった背景

本題に入る前に、なぜ近年、知財・無形資産の開示が重要性を増しているかという背景を振り返る。大きなきっかけは、2021年6月のコーポレートガバナンス・コード(CGC)の再改訂だ。21年の改訂では、知財・無形資産の活用戦略・投資計画の策定や情報開示、その実行にあたってのガバナンス体制整備などを求める項目が、新たな補充原則として追加されることになった。

CGC改訂と並行し、無形資産全般に関して内閣府が発表した「知財・無形資産ガバナンスガイドライン」などCGCを補完・拡充する様々なガイドラインも公表された。こうした制度の動きにより、企業による知財・無形資産の情報開示の動きが加速したといえる。

企業は知財・無形資産についての情報開示を、任意でとりまとめる「統合報告書」で行うことが多い。民間企業が運営する「企業価値レポーティング・ラボ」によると、統合報告書を発行している企業などは2024年に上場・非上場を合わせて1,177社となり、10年間で8倍以上に増えた。統合報告書に対しては、機関投資家をはじめとするステークホルダーの関心も高く、企業価値向上を巡る建設的な対話(エンゲージメント)をうながす重要な役割も果たしている。

知財・無形資産の開示で失敗しないための5つのポイント

統合報告書という、せっかくの情報開示やエンゲージメントの媒体を発行したとしても、その開示内容が乏しければ効果は半減する。知財・無形資産の開示やエンゲージメントで失敗しないためのポイントを5つにまとめ、解説していく。

ポイント1)開示の対象は知財・無形資産そのものではない

第1に、情報開示の対象は知財・無形資産そのものではない点に注意が必要である。統合報告書などでは、自社が保有する技術や人材がいかに優れているのかを強調する開示内容が散見される。一方、投資家を中心とするステークホルダーが関心をもつのは、それら技術や人材がいかに効果的に企業価値を生み出しているかにある。たとえ、企業が保有する技術や人材がノーベル賞受賞に値するような学術的価値のあるものであっても、それらが収益など財務的価値に結びついていないのであれば、資本市場の観点からすれば、それは無価値に等しい。

逆に、どのように一般的な技術や知識であっても、それが例えばその企業の製品・サービスの参入障壁の構築に結びつき、企業の中長期的な価格支配力を生み出しているのであれば、それら技術や知識こそ企業価値という観点では重要な知財・無形資産となる。

企業価値を生み出している技術を、効果的に開示している企業として荏原製作所が挙げられる。同社は、自社の競争優位の基盤となっている技術を、全社の横断的な共通基盤技術、事業セグメント(社内カンパニー)の競争力の源泉となっているコア技術に整理し、それらを「荏原グループ技術元素表」として開示している。

ポイント2)ストーリーの重要性

次に押さえておきたいのが、ストーリーとしての開示の重要性だ。知財・無形資産が企業価値を生み出しているプロセスをみたとき、多くの場合、ある特定の技術の力だけで競争優位を生み出しているのではない。様々な技術や人材、ブランドなどが集合体として組み合わさり、その企業の独自の競争優位と企業価値の形成につながっている場合が多い。

例えば荏原製作所の場合、同社の技術元素表に掲げられた技術を保有する人材や、関連する特許が統合報告書に示されている。それに加え、同社の競争優位を維持する戦略が人材戦略や研究開発・知的財産戦略などと一体として進められていることも、わかりやすく説明されている。

アシックスもまた、知財・無形資産が一体となって企業価値を生み出していることを効果的に開示している好事例といえる。同社の2024年統合報告書では、ブランド、デジタルトランスフォーメーション(DX)、研究開発、知的財産、人財における各戦略が一貫したストーリーとして解説されており、同社の持続的成長と競争優位性の実現に向けた取り組みが紹介されている。

ポイント3)見せるべき情報と見せてはならない情報

知財・無形資産の情報開示では、何でもかんでもオープンにすればいいというものではない。どこまでの情報を開示し、どこを秘匿すべきかを戦略的に判断することが重要となってくる。こうした判断は、企業などの研究開発における「オープン&クローズ戦略」と似ているともいえる。

研究開発におけるオープン&クローズ戦略とは、企業が自社製品・サービスに含まれる技術について、オープン領域(普及させたい技術等)とクローズ領域(独占したい技術等)を適切に使い分けることで市場獲得の最大化を目指すものだ。知財・無形資産においても同様の文脈で語ることができる。すなわち、自社の知財・無形資産の優位性を市場に浸透させつつ、潜在的な競争者の模倣・追随を阻止することにより、自社の市場価値の最大化を目指すという戦略だ。

ポイント4)「実は貴重な資産」を見落とさない

本来は高い価値がある知財・無形資産が社内で見落とされてしまっており、開示がされていないということがしばしば見受けられる。第三者から見れば企業価値につながる重要な資産を、その会社自身が気づいていないというケースだ。知財・無形資産の開示を、あまりに形式的に行ってしまうと陥りがちな事態といえる。

統合報告書を作成するにあたって、IFRS財団(旧IIRC)の「国際統合報告フレームワーク」という作成ガイドラインを参考にする企業は多い。同ガイドラインは、企業価値の源泉として、財務資本、製造資本、知的資本、人的資本、社会・関係資本、自然資本の6つの資本(インプット)を例示している。

ガイドラインは非常に有用な一方、実はこの資本の分類が、必ずしもすべての企業にとって最適であるとは限らないことに注意しなければならない。それぞれの企業には知財・無形資産の特徴がある。当然、その活用戦略を策定したり投資計画を実行していくにあたって、最適なグルーピングも変わってくるはずだ。

例えば味の素は、完成度の高い統合報告書を作成していることで知られるが、同社は無形資産を、「人的資産」、「技術資産」、「顧客資産」、「組織資産」の4つに整理している。国際統合報告フレームワークを参照しつつも、しゃくし定規にとらえるのではなく、あくまで自社の知財・無形資産戦略を説明するうえで最適なやり方を考えることが大切になる。

「法務資本」という価値

また、国際統合報告フレームワークの資本の分類が、必ずしもあらゆる無形資産を網羅しているとは言い切れない点も指摘しておきたい。例えば、㈱クオンツ・コンサルティングでは、企業の重要な知財・無形資産として「法務資本」という考え方を提唱している。コーポレートガバナンス体制、内部統制、リスク管理、コンプライアンスなどを含めた広義の法務部門(法務・ガバナンス機能)の価値を示すものだ。

企業価値の創造という観点で考えた場合、知財・無形資産が産み出す事業価値も重要である一方、堅実で迅速な意思決定を促進する組織・ガバナンス体制の構築や全社的なリスク管理の徹底によるリスク抑制(資本コスト抑制)もまた重要な役割といえるだろう。こうした法務・ガバナンス機能が企業価値に結びつくプロセスやストーリーを示すことも、最先端の知財・無形資産の情報開示のテーマとなりうるのではないだろうか。

ポイント5)対話の対象は誰か

最後のポイントとして、「誰を対象とした情報開示や対話(エンゲージメント)なのか」を明確にすることを強調したい。

まず、外部のステークホルダーとしては、株主・機関投資家との対話が重要となるだろう。中でも金融・資本市場との対話の経験が浅い上場企業にとっては、機関投資家はかなり理解が難しい存在であると考えられる。内閣府「知財・無形資産ガバナンスガイドラインVer2.0」も指摘するように、上場企業と投資家との間には、その思考構造や価値判断の面で大きなギャップが存在する。さらに機関投資家といっても、その投資運用のスタイルや方針には大きな違いがある。

例えば、短期売買を繰り返すヘッジファンドに対して長期の知財・無形資産戦略の話をしても、ほとんど関心を示されない可能性が高い。インデックスファンドに投資を行うパッシブ投資家も同様だ。知財・無形資産に関する長期戦略について充実したディスカッションができる相手は、長期アクティブ投資家が主体になってくる。

投資家との対話にあたっては、投資家のタイプと関心を事前に把握し、その関心にあった適切な対話を心がけることが重要になる。長期アクティブ投資家との対話では、ポイント4で指摘した「実は貴重な資産」について、自身が気づいていない"資産価値"をその対話の中でみつけることができるかもしれない。

エンゲージメントにあたり、社内ステークホルダーの存在も忘れてはならない。重要な社内ステークホルダーの一つは、従業員だ。自社が保有する知財・無形資産の価値を、従業員が意外なほど知らないというケースは珍しくない。例えば、統合報告書の内容を社内研修に活用することにより、重要な経営理念・価値観を社内に浸透させることができる。味の素はこうした試みを実践している企業の一つだ。

経営陣もまた、重要な社内ステークホルダーといえる。知財・無形資産の戦略は常に鍛え、磨き続けることが必要だ。それには情報開示とエンゲージメントに経営陣が積極的に関わることが不可欠であり、知財無形資産戦略と企業価値向上の間に好循環を生み出す鍵を握るといえる。

知財・無形資産、リスクにするか宝の山にするか

7月から連載してきた「見えない知財の見えないリスク」は今回が最終回となる。これまでの4回の記事では、知財・無形資産に関して日本企業が陥りがちな落とし穴や、リスク回避するための手法などについて解説してきた。連載を通じて一貫したメッセージとして伝えたかったのは、この見えない「知財・無形資産」を意識することこそ、現在の企業における最大の経営課題のひとつだということだ。それができなかった企業は大きなリスクを抱えかねず、逆に克服できた企業は最大級のチャンスをつかむことにもつながる。

多くの企業にとって知財・無形資産は、社内では「当たり前」として受け入れられている強みややり方だったりすることもある。改めてそれを宝の山だと認識し、独自の活用戦略を築き上げることはそう簡単ではない。我々のようなコンサルティング会社をはじめ、専門家の力をうまく使うことは企業にとって有益になる。1社でも多くの日本企業が知財・無形資産によって企業価値を高めることを願いつつ、連載の締めくくりとさせていただきたい。

飯塚尚己

飯塚尚己(いいづか・なおき)

㈱クオンツ・コンサルティング シニアアナリスト

大手金融機関系シンクタンクや外資系証券会社などで金融資本市場に精通し、投資家向け広報(IR)活動に詳しいシニアアナリスト。知財・無形資産の情報開示戦略を支援している。

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